フォートナイト訴訟に見る独占の考え方

f:id:munyamnya:20200825223143j:image

あれだけ巨大なITカンパニーが鎮座する米国の市場においても、次々とベンチャーが生まれる理由の1つに「独占禁止法」と言うものがあると思う。

今回のフォートないと訴訟においては、アップルが独占的にプラットフォームだけでなく決済プラットフォームも提供していることが焦点となるらしい。直近の報道では、その点はあまり認められておらず、フォートナイトに対してダイレクトペイメント機能を削除すればいいじゃん、と言っているそうだ。

 

App Storeからのフォートナイト削除については、司法が回復を命じる緊急性が認められない。Epicがみずから確信的に行動した結果であって、以前の状態に戻すだけで容易にストアに復活させるとアップルが述べている以上、緊急の保全命令を出す要件を満たさない。

アップル対Epic前哨戦は引き分け。フォートナイト削除は妥当、Unreal Engineまでは不当と司法判断 - Engadget 日本版

 

そこで私が面白いなと思ったのは「独占」の定義である。

フォートナイト言うにはアップルは「独占的に」決済サービスを提供していると言うのだが、改めて考えるとアップルが、自分が作っている端末の上で自分が作っているOSの上で自分が作っているアプリケーションストアの上で自分の決済サービスを提供することに何の問題もないと思われる。そしてそこに他社のサービス決済サービスを入れないことにも何の問題もないと一見考えられる。

なぜ自分のプラットホームの上で競合する他社のサービスを認めなければならないのか?そちらの方がおかしい。

そこで気づいたのは、米国では"公共プラットフォーム" と言う考え方があり、私企業に対してもそのビジネスモデルから考えて今日公共的サービス的側面があるかどうかについてはかなりシビアに判断するのだと言うことだった。

 

EoE